最近はそれほど読まなくなったとは言え、「推理小説」は今でも私の最も好きなジャンルの小説と言えます。
それで、読者との暗黙の了解や推理小説を書く上での2つの有名な規則があることを最近知った、という話の続き、そのうちの「ノックスの十戒」についてです。
「ヴァン・ダインの二十則」はこちら
いずれも1928年に提唱されたものですが、内容を見るとなかなか興味深く面白いです。
※その他「チャンドラーの9命題」もあり。
Contents
ノックスの十戒
1.犯人は物語の当初に登場していなければならない
推理小説のストーリーを展開する上で最後の最後に犯人が初登場した場合、読者が犯人を予想しながら読み進めることはできないですよね。
どうも以前の推理小説は「作者から読者への挑戦」という要素が強かったみたいなので、そういったストーリー展開は読者に対してフェアではないということなのでしょう。
2.探偵方法に超自然能力を用いてはならない
例えば超能力で犯人を透視する、みたいなのは、論理的なトリックの解明やアリバイ崩しを期待する読者からしてみれば興醒めしてしまいますよね。
超自然能力は読者が推理小説に求めているものを台無しにする要素であるということですね。
3.犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない
これは一つなら良い、ということになりますが、意図が少々わかりにくいです。
そもそも秘密の抜け穴や通路は「密室殺人」等を可能にするトリックということなのでしょうか。
もし二つ以上あったらどうなるんでしょう?
4.未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
昔の推理小説には毒殺が多く使われていたのか、ヴァン・ダインの二十則でも未知の毒薬は禁止されています。
例えば、死に至らしめるまでの時間が長い毒薬などを勝手に創作するのはNGということなのですかね。
また、一般的に考えてあまりにも難しい専門的な内容を犯行に用いるのは、最後に読者が理解できずに終わる可能性が高いため避けるべしということなのでしょう。
5.中国人を登場させてはならない
これは例えば「中国由来の不可思議なもの」など超人・超自然的なものの当時の象徴として、という意味合いのようです。
現代では差別的な解釈や誤解を生むので欠番とされることも多いみたいですね。
6.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
昔から推理小説のストーリーや推理は論理的に展開させるのがセオリーだったのではないでしょうか。
理由は、読者も探偵と同じように論理的に推理できる環境が構築できていなければならないからです。
最後に偶然の要素や探偵の勘に頼って終わらせるのは、推理小説作家として力不足という評価になるでしょう。
7.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
これもちょっと意図がわかりにくいのですが、一つ言えるのは「推理小説は探偵が事件解決し犯人を突きとめるもの」という大前提があるので、その盲点をつくのは読者に対してフェアではないということではないでしょうか。
変装などで読者ではなく登場人物を騙すのは有り、ということですかね。
8.探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
ヴァン・ダインの二十則にもある「事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない」の言い方を変えたようなものですね。
最後に探偵の「隠し玉」によって解決するのは読者を裏切る行為ということでしょう。
9.「ワトスン役」は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
推理小説の形式の一つに「探偵とその助手がおり、助手が事件の伝記を記述する(語り手)」という形式があります。
ワトスン役というのはホームズの助手であるワトスン、つまり「助手(語り手)役」のことですね。
ホームズとワトスンの成功後にこの形式が多くの小説で使われることとなったようです。
語り手は自分の判断を全て読者に知らせねばならないというのは、「語り手が事件の手がかりを読者に伝える役目を担っていたため」だと思われます。
10.双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない
例えばアリバイを成立させるトリックが実は双子であり、それが最後の最後でわかったとしたらおそらく読者は「え~?」ってなっちゃいますよね・・・
読者に不評を買うような結末は避けるためということかもしれません。
十戒はノックスの冗談だった?
ヴァン・ダインの二十則がそうであるように、このノックスの十戒を破ったり逆手にとった作品というのはけっこう出されています。
最も有名なのはアガサ・クリスティの作品「アクロイド殺し」で高い評価を受けていますが、ヴァン・ダインは強く批判したと言います。
しかし、ヴァン・ダイン自身も二十則を破り、ノックス自身もこの十戒を破った作品を書いてたりするんですよね。
ノックスに至っては、十戒について「(自分でも)なぜこんなことを考えたかわからない」などと記述する始末。
十戒というのはそもそもノックスのユーモアに過ぎなかった可能性もあるようです。